「僕は、ずっと先生のお側にいます」

夜空に融けそうな静かな声音で彼は言った。私の膝に頭を乗せ、まるで邪気のない澄んだ瞳で私を見据えながらそう言った。私はさらりと広がる彼の髪に指を絡めながら、ああと短く答えを返した。そうであったらどれほど嬉しいだろうね、後に続きそうになった言葉はすんでのところで呑みこんだ。私は別に彼を怒らせたいわけでも、ましてや彼の気持ちを疑っているわけでもない。今の彼は本気で私の側でその生涯を終えようと思ってくれているのだろう。そう、「今」の彼は。捨て子であった彼の本当の年齢はわからないけれど、いずれにせよ私よりひとまわりもふたまわりも離れているだろう彼は、まだこの世界の広さに気付いていないだけなのだ。せいぜい彼の世界は私と飼い猫のタマとこの木造建築二階建ての狭い庭先というとても閉鎖的な空間で完結している。しかしながらこの先彼が成長し、だんだんと自分の視野を広げていったらどうだろうか。きっと彼は驚き、溢れんばかりの好奇心を止められなくなるだろう。そして一歩また一歩と色鮮やかに目まぐるしく変わる外の世界に足を踏み出し、いつかは私のことなど見向きもしなくなるだろう。そしていずれ彼が心から大切だといえる存在に出会えたなら、今彼が私に対して抱いている気持ちが思い違いであることに気づくだろう。私はそれを悲しいことだとは思わない。彼が望むなら私はいつだってこの狭すぎる世界から飛び出す後押しをしてあげたいと考えている。彼はまだまだ若い。輝く未来ある彼を、もういつお迎えがきてもおかしくはない枯れきった私なんかに彼を縛り付けておくなんて許されることじゃない。私はただ彼の出発準備が整うまでの間、蝉に例えるなら殻を脱ぎ捨て柔らかい羽がかたくなるまでの間、他の者に襲われないよう見守るまでが私の役目、乾ききった羽で彼がどこへ飛んで行こうがそれは彼自身の選択であり私が口を出すことなんてできやしないのだ。彼が去った後は彼との思い出を胸に抱きながら静かな余生を送れればいい。私は彼と出会えただけで幸せなのだ。これ以上の幸せなんて望んだら罰があたる。それでも、それでももし彼が私の側にいることを選んでくれたなら。乾ききった羽をたたんで狭すぎるこの完結しきった世界に留まることを選んでくれたなら。私は、 そこまで考えたところですぅすぅと静かな寝息が耳に届いた。見ると彼は私の膝の上でなんとも安心しきった顔をして眠っている。しばらく眺めていると口元が小さく「先生」と動いた。胸がぎゅうと締め付けられたような気がして、思わず白い額にひとつ口付けを落とした。そうすると意識があるのかないのか、彼は嬉しそうににこりと笑って「僕はずっと、先生の、お側に」 います、と最後まで言い切れないまま、再び彼はすぅすぅと静かな寝息を立て深い眠りへと落ちていった。私はなぜだか込みあがる感情を抑えることが出来ず、彼が寝ているのをいいことに彼の顔へとぽたぽた溢れる涙を夜が明けるまで零し続けた。


オチ?何それおいしいの?> ^p^